広く浅くで大惨事

ジャニーズとお笑いと特撮とプロレスの4ジャンルを兼任していたらこんなことになりました

10年追いかけた推しの解散を見届けた話

平成が終わった日、私は映画館に来ていた。

見ようとしていたのは「シャザム」。アメコミ好き芸人としてDC映画のイベントによく出ている私の推しコンビ、御茶ノ水男子の片割れであるおもしろ佐藤さんがオススメしていたからだ。

シアターが空くのをロビーで待っていると、携帯が震える。通知設定をしている推しのTwitterが更新されたことを意味していた。

どうせまたいつもの感じでイベントの告知か趣味の話だろうなと思って開いてみると、そこにはこんなツイートがあった。

佐藤ピリオド. (元御茶ノ水男子) on Twitter: "【皆様へご報告】

我々、御茶ノ水男子は6月末に予定している神保町花月でのライブを最後に解散することになりました。

ジャスタウェイが今の活動の他に新たにやりたいことが出来た為今回解散という形になりました。

二人とも芸人は続けます!

また改めて応援してくれてる皆さんへの気持ちを 👇次へ… https://t.co/5YWvAfqrQi"

 

しいはしジャスタウェイ on Twitter: "【御報告】 ー アメブロを更新しました
#御茶ノ水男子
https://t.co/N9a45lBVSP"

 

 

混乱した。確かに定期的に行われていた御茶ノ水男子のライブは昨年を最後に全く行われていなかった。でもアメトーーク仮面ライダー大好き芸人をはじめとする2人の個人での仕事はかなり順調で、最近は少しずつではあるが新規ファンが増えつつあったのだ。おまけにこの発表が出る前にはルミネの新ネタライブに出ていた。

からしばらくすれば、どこかでまた2人のライブは復活すると思っていたし、万が一、一緒に仕事をしないと決めたとしても、アンタッチャブルのように解散はせず活動するスタイルになるのだと思っていた。

しかし、ツイートを読み進めるうち、解散の理由が「しいはしさんに他にやりたいことが出来たから」だとわかって私ははっとさせられた。

御茶ノ水男子といえば性格と肌の色が正反対な、しいはしジャスタウェイおもしろ佐藤の2人が「元スーツアクターで特撮ヲタ」と「元アニメーターでジブリ&アメコミヲタ」という経歴を活かしたネタをするお笑いコンビである。

いまとなっては何も珍しくないし、それを題材としたアイドルマスター SideMのようなアニメもあるが、少なくとも東京吉本において、転職して吉本芸人になるという事例の先駆けとなったのがこの御茶ノ水男子だった。

この「転職先として吉本を選ぶ」という発想のクレイジーさと、一度社会人を経験しているからこそ良識的にファンを大切にする姿勢が両立している点が大好きで私は10年も御茶ノ水男子のオタクをやっている。少なくとも私は、御茶ノ水男子のオタクをしていて嫌な思いをしたことが一度もない。

だが、転職して吉本に入ったということは芸人一筋の人よりも、他にやりたい事ができたきにコンビを解散するという選択肢を選び易いのかもしれないと、そのとき初めて気づいた。むしろしいはしさんについては、表舞台から退くにも関らずと吉本には残るということの方が驚きかもしれない。吉本に居続けてもそのやりたいことが出来ると周囲にアドバイスされたからとブログには書かれていた。

 

思えば、私は全くもって御茶ノ水男子の良いファンではなかった。

10年前、ドイツに住んでいた15歳の私は当時インターネットで配信されていたAGEAGEライブを見て御茶ノ水男子に堕ちたはずなのだが、正直随分前のことなので記憶があいまいだ。

色白と色黒のコンビは華があったし、超若手ながらランキングバトルで上位にのしあがるきっかけとなった「BLコント」という超異色のネタは中二病まっさかりの私にはどんぴしゃだった。それでいてBLを全く馬鹿にはしておらず、「自分がオタクであるからこそ他ジャンルもリスペクトする」という姿勢は信頼できた。

だが、16歳で帰国していざ生の御茶ノ水男子を見に行こうと思っても、不思議なくらいにタイミングが合わないことが多かった。

大阪でお芝居(黄金の郷)をすることが決まったときは嬉しくて仕方なかったが、テストと重なってしまい行けなかった。

その後、京都の三条にあるシダックスで、エグスプロージョンと爆男というユニットを組んで定期的にライブをするようになってくれた。

生の2人は最高に面白かったし、手を伸ばせば届くような超至近距離2人を見れたことが嬉しくて嬉しくて、ライブがある時は必ず行ったしクリスマスも彼らのライブに行った。

しかし、AKBの握手会で傷害事件が発生すると、しばらくしてこの劇場は閉鎖されてしまう。シダックスの劇場をメインで使用していたのはNMBの研究生で、事件があってからは超至近距離で彼女たちに触れ合えるこの劇場を使う訳にはいかなくなったからである。

その後、ユニットライブなどでたまにどちらかが大阪に来ることがあっても、コンビが揃うことはなかったし、高校3年の春休みにようやく初めて東京でネタライブを見ても、コーナーの芸人投票企画で「面白くない芸人」として表彰されてしまう場面に遭遇するなど散々なことが多かった。私のようにようやく地方から推しの仕事を見にきたファンの心を折るようなあんな企画はもうしないでほしい。

大学2回生の夏、御茶ノ水男子の久しぶりの単独ライブが決まった。だがそれも断念した。1年間のアメリカ留学に行く前日でとても東京に行ける状態ではなかったからだ。当日は本当に苦しくて苦しくて、己を恨んだ。

留学から帰ってきたあと、私は大阪で内定を貰った。御茶ノ水男子を頻繁に見れる環境も欲しかったが、関西企業のほうが性格的に合っていたからだ。幸いにも給料が良かったので、これからは有給を取って頻繁に遠征しようと決めた。

大学3回生から大学卒業までは、本当に夢のような時間だった。それまでを取り返すようにライブに沢山行った。

劇場では2人のトークライブである御茶ノ水男子乃話のために唯一大阪から遠征してくる不思議な客として前説のベン山形さんに取り上げられたし、しいはしさんが属する特撮芸人のユニットライブではゲストの西銘駿くんのサイン色紙が当たるという珍事も起きた。生で2人のやりとりを見れるのが嬉しくてしかたなくて、大半はしいはしさんのする佐藤さんの天然話だけで終わってしまう神保町花月の90分間のために学生としては気合のいる額を使っていた。だがそれが幸せだった。

 

以前よりライブに通っていたとはいえ東京在住の方よりはどうしても参加率は低かったので、埋め合わせとしてはてなブログに布教記事を書いた。それがバズったときは嬉しかったし、何より佐藤さんに「俺、頑張るから」とツイートして頂いたときは本当にドキドキした。応援していてよかったと思った。

 

就職してから、御茶ノ水男子の3年ぶりの単独ライブが発表された。だがそれにも行けなかった。チケットは取っていたがやはり新入社員研修を休む訳にはいかず、譲りに出した。

ケツイを出したときに佐藤さんに補足された。芸人さんは本当によくエゴサをするのだ。申し訳なかったが、譲り先が見つかったのが幸いだった。

まさかそれが最後の単独ライブになるとは思っていなかった。

無遅刻無欠席で仕事に打ち込んだおかげか、業務にも慣れてきて、時期さえ上手く読めば休みを取りやすい職場だとわかって、これからたくさん御茶ノ水男子のライブに行ける!解散が決まったのはそう喜んでいた矢先だった。

 

これからだった。これからたくさんライブに行けると思っていたのに。1500円のライブのために3万かけて行って、それが楽しいのだと笑うつもりだったのに。

ただ2人の選択をどうすることもできないし、10年間で行けるライブには行っていた。その数が少なかっただけだ。

単純に私と推しのタイミングが合わなかった。現実はそれにつきる。

 

せめて解散ライブだけは最後に行かなければ。私はなんとかスケジュールを調整し、ホテルを予約した。

だが肝心のチケット発売日に仕事でトラブルが発生し、なんと取れたのは最後の1枚だった。そう、私で完売したのである。

どこまでタイミングが悪いんだと冷や汗をかいたが、最悪の事態は免れた。

 

最後のトークライブが始まる前、私はフォロワーの朝賀さんとお茶をした。オタク生活10年でようやく出来た同担だった。いつか一緒にライブに行きましょう!と約束していたが、まさか解散ライブになるとは。

ロビーには沢山のお花が飾られていたが、中でもかつて2人がレギュラーで出演していたMXの「ニコリッチ」からお花が来ていたことには驚いた。

 

御茶ノ水男子を観れるのは嬉しいが、始まってほしくない。

最初はそんなことを考えていたのに、前説としてベン山形さんが出てきたらその相変わらずのパンチの強さのせいでそんなことなんて吹っ飛んでしまって、そこからはあっという間だった。

久しぶりのトークライブでは、予想した通りしいはしさんが、佐藤さんがいかに天然かという話ばかりしていた。

佐藤さんはファンに対しては優しいが、それ以外はむちゃくちゃな人なので1年もトークライブが空いていたら何かしらをやらかしているとは思ったが、さすがにフィリピンで死にかけていたとは思っていなかった。

最後だからか、しいはしさんは佐藤さんがジャンポリスで銀魂の沖田役をやって死ぬほど叩かれたり、ダイエット企画に失敗して丸坊主にしたりしたときの写真まで持ち込んでいて、オタクですら忘れかけていた過去の出来事を最後にしいはしさんが沢山思い出させてくれてゲラゲラ笑った。今まであえて言わなかったけど、やっぱりしいはしさんって佐藤さんのこと大好きだよね。最後だから言っておこう。

そこで「もう35歳と38歳のおじさんですよー」なんて2人が話していて、自分が御茶ノ水男子にはまった当時の佐藤さんの年齢と同じになっていることに気づいた。

ちなみに佐藤さんは、解散後におもしろ佐藤から「佐藤ピリオド.」という名前になるらしい。そこはおもしろ佐藤ではないのかと思ったが、佐藤さんは当初表舞台から身を引くしいはしさんから「ジャスタウェイ」の芸名を貰いたかったらしい。それはそれで意味がわからなくて笑った。

本当にいつもと変わらないトークライブだったが、時折しいはしさんが佐藤さんのピンネタの案を出したり、自分というフィルターがいなくなった後の佐藤さんの身を案じていたりするのを見て、本当にこの人たちは今から解散するのだと現実を突きつけられた。なんというか、しいはしさんが自分がいなくなった後の息子を心配する母親に見えた。

それでもそんな時間はあっという間にエンディングを迎えて、最後は2人が今までのネタを題材にしたネタをしてくれた。関東三角関係のネタを生で見れて、あのころ地方で配信を見ていた15歳の私が報われたような気がした。

おまけに最後に代表作の「もしもアンパンマンがアメコミヒーローだったら」をやってくれたとき、佐藤さんの思いつきで録画OKにしてくれた。こういうことを咄嗟に思いつくところが天才である。

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そのまま2人のネタが終わって、お辞儀をしたとたんに劇場の幕が閉まった。

御茶ノ水男子は解散した。

 

最初、解散ライブなんて見てしまったら泣いてしまうと思っていたのに、正直ぜんっぜん泣かなかった。

解散の理由はやりたい事が他にできたらからで、去年のうちに解散が決まっていたのにわざわざ解散ライブをやってくれて、最後にこれまでのネタの総集編やってくれて。できれば解散はしてほしくなかったけれど、解散をするならこれが世界一綺麗な解散ではないかと思ったからだ。

御茶ノ水男子は最後の最後までオタクに優しかった。御茶ノ水男子のこういう所が大好きだった。

もう一つ、私が泣かなかったのは2人が解散した後に出るライブを沢山挙げていたからだ。表舞台から身を引くはずのしいはしさんもなんだかんだいって引っ張りだこである。

それを聞いていると、解散した後も推しの人生は続くのだと当たり前のことを実感させられた。ファンも「ボーイレスク行く?」「ヒーロークラブどうする?」なんて口々に相談していた。かく言う私も、解散したら当分遠征はしないと思っていたのに8月の吉本ヒーロークラブのチケットを取ってしまった。ボーイレスクはあいにく都合がつかなかったので、次回に持ち越しだ。解散してもオタクのやることは変わらない。

きっとこれが、三次元の、生身の人間を推すということなんだろう。

ただ、帰り際に佐藤さんのご両親とばったり遭遇してお母さまに泣きながら「本当にありがとうございました」と頭を下げられたことにはうるっと来てしまった。これも三次元を推すということなんだなと思った。

解散しても2人は変わらない。ただコンビ揃う姿を見られないというただ一つの変化が寂しい。

 

長々と書いたが、私はこの10年間御茶ノ水男子のオタクをやれて本当に、本当に楽しかった。第二の人生として芸人を選んだ二人だからこそ今回の選択をしたのかもしれないが、そんな2人でなかったら、こんなにも笑えていない。

本当は終演後にロビーに本人が出てきてくれたときにそう言えればよかったが、焦って陳腐なことしか言えなかったので筆をとったら長文になってしまった。

 

10年後、2人は45歳と48歳、私は35歳。その時はいったいどうなっているのだろう。

もしかして再結成していたりして。そうなったら笑う。

答え合わせができるいつかの明日が来るのが、私は今から楽しみでならない。

 

10年追いかけた推しを追いかけるのは、これからも変わらなさそうだ。