広く浅くで大惨事

ジャニーズとお笑いと特撮とプロレスの4ジャンルを兼任していたらこんなことになりました

私とドイツと伊野尾慧

先日こんなデータを目にした。

 

moarh.hatenablog.jp

 

この記事はジャニオタの皆さんがいつ、どのグループをきっかけにジャニオタになったのかということを示していて、その中にはJUMPについてのデータも含まれていた。JUMPがきっかけでジャニオタになった人が一番多いのは2007年だと書かれていた。

私はそれを見て、「もしかしてあの子も2007年にJUMPを好きになったのかもしれないな」と即座にある女の子のことを思い出した。

 

Twitterやブログで何度か言及しているが、私は2008年の夏から数年間ドイツに住んでいた。私が住んでいた町には日本人が多く在住しており、値段は張るものの日本の食材や書籍が簡単に手に入るし、本屋にはプリクラも置いてあった。日本のアニメのコスプレをしたドイツ人も多く見かけた。

そのため私が通っていたインターナショナルスクールにも日本人は多く在籍しており、私はその日本人の子たちとばかり遊んでいた。そのなかに、私が先ほど述べたあの女の子もいた。

その女の子は私よりほんの少しだけ遅れてドイツにやって来た同級生で、典型的なキャピキャピ系であった。圧倒的な柄の悪さ*1で回りから敬遠されていた私とは違い、彼女はすぐに、インターナショナルスクールの日本人グループという小さなコミュニティに溶け込んだ。

ある日、私は彼女の家に招待された。日本人が多く住む住宅街でもなく、日系商店や日本大使館がある日本人街でもない、のどかな郊外に彼女の家はあった。

家の中は郊外の雰囲気にマッチしたカントリー調の内装で統一されており、そこには日本の家財道具が沢山並んでいた。聞けば、日本の家にあったものをまるごと全てドイツに持ってきたのだという。輸送費が大変なことになるため大抵の日本人は貸し倉庫に荷物を預けてドイツに来ていたのでこれには大変驚いた。私はドイツに持っていく服をうだうだ悩みながら取捨選択したときのことを思い出した。

だが彼女の部屋はもっと凄かった。部屋の中が一面、ジャニーズのポスターで埋め尽くされていたのだ。私は日本でもそのような状況を見たことがなかったのでこれには面食らってしまった。外はのどかなドイツの風景が広がっているのに、中の空間は日本そのものだった。間違いなく異様だった。

そんな部屋の中で彼女はドル誌を毎月購読することとJSTV*2に契約することを条件に家族とドイツへ着いて行くことを承諾したと教えてくれた。そして、一面ジャニーズグッズで埋まった部屋の中でひときわ目立つ位置に張ってあった雑誌の切り抜きを指差してこう言った。

「この人が好きなの。伊野尾慧君!」

私は当時全くジャニーズに興味が無かったので当然ほとんど知識を持っていなかったが、伊野尾という人はHey!Say!JUMPというグループにいるらしかった。彼女がこんなにも熱を上げているのだから、きっとグループの中心的人物なのだろうなと思った。しかし私が関心を持ったのは彼ではなく、その隣にあった二人組。ごくせんを見ていたときに好きだった関西人コンビだったからである。彼女は「BAD」というユニットだということを教えてくれた。

その後彼女はいろんな動画を沢山見せてくれた。伊野尾さんはバケツをたたいて音楽を作ったり、サンタかトナカイだかのコスプレをして「メリークリマスマス!」と叫んでいたりしていた。他にもCRUSHという格好良い曲を踊るグループの動画も見せてくれた。しかし当時の私にとっては退屈なものでしかなかった。あの時はそんなものよりも、放送開始されたばかりのレッドシアターが見たかったのだ。私は内心嫌でしかなかったが、ひたすら我慢して見ていた。それが海外の日本人グループという、ありえないほど狭い世界で生きていく術だったからである。

 

あれから7年経った2015年、私はひょんなことがきっかけでJUMPのファンになった。昔のJUMPについて調べる作業は偶然にも、あの時私が経験したよくわからない出来事の答えを教えてくれた。日本に住んでいるときに毎週見ていた探偵学園Qリュウは山田涼介だったこと。ごくせんの緒方大和もJUMPのメンバーで、名前を高木雄也というということ。CRUSHを歌っていたのはJUMPではなくA.B.C-Zだったこと。そして、あの当時の伊野尾さんはピンでの仕事がほぼなく、かつグループでの仕事でも見切れるくらいにまだ世間に認知されていなかったということ。

しかし当時の伊野尾さんの状況を教えてもらっても、今の伊野尾さんの多忙ぶりに皆さんが驚きの声を上げていても、私はそれを実感することができない。なぜなら、私が一番初めに知ったJUMPのメンバーが伊野尾さんだったからである。私にとってのHey!Say!JUMPとは伊野尾慧なのだ。

 

例の友人はその後伊野尾さんから東方神起チャンミンに鞍替えをしてしまったためあの部屋のポスターは完全に撤収されてしまった。今思えばどうして彼女が山田涼介という絶対的エースではなく伊野尾さんのことを好きになったのか質問するべきだったし、もっと昔の動画を見せてもらうべきだった。今でもフェイスブックで繋がっているので聞こうと思えば聞けるのではあるが、そんなことのためにわざわざ連絡を取り合うほどの仲ではないので、謎は謎のままで終わりそうだ。

昔のJUMPについての話を聞くと必ず、私はあの部屋を思い出してすこし苦い気持ちになる。そしてあのとき全く興味を示さなかったものに7年越しでハマるだなんて人生何があるか分からないと笑いながら、私は「カラフト伯父さんを生で見てみたかった」と思わずにはいられないのだった。

*1:当時は関西弁が関東の人に威圧感を与えるということに気づいていなかった

*2:海外で日本のテレビが見られるサービス。しかし権利の関係上ジャニーズは映らない